砂嵐の中、アフガニスタン再訪
2004年3月9日、まだ東京の桜が固い蕾のころ日本を出発。約3週間、アフガニスタンの首都カブールを中心に北部のパンシール地方などを訪ねました。春のカブールは強い風に大地の砂が巻き上げられて舞い、視界の悪い日が続きます。
今回の旅の目的は、この1年間(2003年4月〜2004年2月)のアフガン子ども教育支援活動の実情と今後の支援の方向性の調査です。
国際子ども教育基金から、片岡と向村の2名。支援協力関係にある全日本仏教青年会の代表として大阪府から佐藤、増田両氏の合計4名で、貪欲にカブールを見て回りました。
ISAF(国際治安支援部隊)に守られた
カブールの平穏な生活
ちょうど1年前に向村が訪れたとき、市街に放置されていた軍用車両などはほとんど整理されていました。そして、破壊された建物の跡地を整備し、新しく足場を組んだ建設中の建物など、首都の表層では復興が順調に進んでいる印象です。
カブールの旧市街にあるバザールは、相変わらずの混雑、人と物が溢れかえっています。品質にこだわらず、お金さえあれば、生活に必要なものはだいたい入手可能です。うれしいことには、1年前には見ることのなかった植木や花の鉢植えなども売られており、「平穏な生活」を実現しようとする人々の意欲の証しだと思いました。
金も仕事も、希望もないその日暮らしの生活
カブール政府の難民省で、難民の現状についてインタビューしました。内戦時などに難民となって海外に出たアフガニスタン人は600万人。2004年2月現在、約半分の300万人がアフガニスタンへの帰還を果たしています。ところが、この帰還した人々が経済的な理由や部族対立などで、国内で難民化しているのです。このような人々を国内避難民(IDP)と呼び、故国に帰れずに外国にいる難民と区別しています。
カブールのIDPキャンプに暮らす人々は戦乱から逃げるように外国に出たときに、全ての家財道具も、仕事も失っています。故郷に帰ろうにもそこには経済基盤がありません。「首都に行けば、何かがあるかもしれない」というはかない希望は、無残に打ち砕かれ、住まいも仕事もないという現実。希望も夢もないその日暮らしをしているのが現状です。
|